昭和五十七年八月十二日 朝の御理解


御理解第7節 「天地金乃神は昔からある神ぞ、途中から出来た神でなし天地は流行る事なし流行る事なければ終わりもなし天地日月の心になる事肝要なり信心はせぬでもおかげはやってある」


 天地日月の心とは、というところにいつも焦点を置いて信心を進めていくのが御理念による信心の進め方であると思います。限りがないのです。勿論天地日月の心と言っても、人間が幸せになる為の天地ですね。その人間が幸せになる事の為に頂く天地日月の心、ね。天地日月の心というのは、もう言うならば、限りない大きいものですけれども、人間の幸せという事だけに焦点を置いての天地日月の心。まあここでは簡単にそれを、まあ天の心とは、ね。美しい美わしの心であり、いさぎよい心であるとか、ね。地の心とは、いよいよ地の心、その心こそ真であるとか。いわゆる黙って治める大地の心というように、ま、説きます。日月の心というのは、ならお道でいう実意丁寧神信心というふうにね。それだけなんです。けどもそれを今度は、いよいよその気になってそれに精進、取り組ませて頂きますともう、限りがないのです。成程一生が修行と仰せられる。一生修行してもこれでよいという事はないと思われる程しに、いよいよ深く広いものであるし、同時に言わば助かりの度合というものも、また限りなく助かっていけれるわけなんですね。ですからやっぱり楽しみです。まあいろいろ、も、何の稽古でも同じなんですけども、もうその名人とか達人とか言われる人が必ず言うことは、もいくら稽古をしてもいくら稽古をしてもこれでといという事はないと、言う意味の事を言われますね。もう、限りがない。もう稽古には限りがない。その限りのないその対象を天地日月の心に写して見るのですから、確かに限りがないです。も、これでよいと言う事はない。
 昨日、研修にかかろうとする時に、神様に御祈念をさして頂きましたら「大心 小心」という事を頂いたんです。「大きい心、小さい心」これは支那語で中国語ですね。今の中国語で申しますと、ターシンと言うんです。大きい心、それは、ね。日本ではそれを、大きな心と言うけれども。中国では、この横着者という時に使う言葉です。横着という意味です。ターシンというのは。から、小心というのは、まあ私は、小心者ですから、心が小さいですから、と、ま、日本では申しますよね。ところが支那語では物を、例えば扱う、物一つ扱うでも、小心だと、小心、と。こういう事を言うんです、ね。心を配れ、注意せよという意味なんです。だから、日本で言う大きい心、小さい心とは全然意味が反対なんです。その事をま、先生方に聞いてもらった事でしたけれども、私共が、ね。も、天地日月の心ほど大きな偉大な心はないでしょうが、ね。おかげを頂いて、ね。言うならば、問題が問題にならないと言うのが、合楽理念に基づけば、ね。問題が問題がじゃない。その問題、そのものが信心の稽古の材料だと頂いたら問題じゃないわけですよね。ところがそうなんですけれども、ね。それを信心の稽古にそれを使わずに、ね。ただ、おかげじゃないと、ね。あゝそんな事は問題じゃないと、口で言うておったとしたらどういう事になりますでしょうか、ね。その問題を信心の稽古の対象として頂かずに、いかにも大きな心のようにあるけれども。それは私は、横着という事になるのじゃないでしょうかね。信心であゝよかよかち、神乍らじゃがと言うて、本当に言うなら、この例えば安心と言うものは。例えば豊かな大きな心とこう思うとりますけれども。それが神様を信じておるから、豊かで居れるのだ。神様を信じておれるから、こういう大きな心でおれるのだという神様を、信じておるから心が安らいでおると言うならば、これは大きな心ですけれども。神様を信ずる心がなくて、ね。まあ一般で、あの人は、なかなか心が大きいと、ま、言うならば、何ら言うでしょうかね。清濁あい呑みといったような心、大きな心、けれどもそれをよく厳密に思うてみると、横着な心です、ね。いわゆる横着者なんです。横着であっては信・・・。信心でそれを自分の心が豊かであるとか、大きな心であると思うておる。その心をもう一遍、いわばどれ程の神様を頂いておるから、こういう大きな心でおれるんだ。どれほど、神様を信じておるから、ここに心が安らいでおるんだという事にならないと、ね。まあ、日本人は、大きな心と言えば、有り難いのですけれども。支那では、大きな心と書いて横着という事になります。小心もまた、同じであります、ね。支那語で小心と言うたら、言うならば実意丁寧の事です、ね。日本では、心が小さい。あの小心者だと、こういうふうに申します、ね。私共が、ね。どれほどの言うならば、実意丁寧、言うならば、日月の心を心として信心の稽古をさして頂いておるかどうかと、どれ程、天地の心の大きな、ま、豊かな心で限りなく美しい心で、または限りなく黙って受ける事。その事を有り難しと受けていっておる信心というものをです。その支那語で言うターシン、支那語で言うところの小心と頂いて私は、改めて、ね。自分の頂いとる安心とか喜び。安心しとる事の喜びが、ね。ただ、大きな心で居るようであるけれども、ひょっとそれが横着の心であるような事はないだろうかと見当して、いよいよ信心を進めて参りまして、ね。私は、も、限りない信心の精進という事は、ここで信心はせぬでも、おかげはやってあるという事ですが、おかげをおかげと気付いてない世界。そのおかげをおかげとわかるという事ですけれども、それが、も、も、本当に小さい事。も、本当に小さい事の中にもですね。も、神様の働きの間違いのない事なあと、こう思う。ま、それがわかる。だからその小さい事にも、言うならば御礼を申し上げさしてもらう。今までうかつにしておった、ね。お願いをして、お願いが成就したという時のおかげではなくて、今まで気付かなかった、それもそれも小さい小さい事柄の中にも、おかげを感じていくというのですから、も、限りがないです、ね。そういうどんなささいな事にでも神様のおかげを頂かなければとか、神様のおかげの中に働きの中にあるんだと、ね。
 昨日の御理解の中に、ここの黄楊会の方達が、壱岐に参りましてから帰っての、中原修行生の御礼のお届けを、ね。もう本当に、も間違いのない一分一秒の間違いのない働きの中に薫ようなおかげを頂いて帰りましたと、いうその一分一秒の働きの中にも、ね。そのそれを感じれれる。だからそういう実感が日常、なら、修行生の事であるならば、日々修行させて頂いとる事の中にも、ね。一分一秒の間違いのない働きを感じれれるように、特別のお取り次ぎを頂いて、ま、言うなら親先生の祈りの中にお許しを頂いて、今日の信心実習であるんだ。ですから、もう、行きがけから帰りまで、も、一分一秒の間違いのない働きの中に神様を実感しながらおかげを頂いたと、こう言うのです。けれどもそれが、なら、日々の修行の中にも、それを感じれれる信心、ね。いよいよ、ね。もう、言うならば、天地日月の心という事は、ね。天の心、地の心とは、日月の心とは。いわゆる一通りわからしてもらって、その内容をいよいよ深めていく信心。為にはそこには、言うなら内容の深い生活というか喜びというか、またはそれに伴うところのおかげも、こういうところにまで、それこそ一分一厘の間違いのない神様の働きが表れてくるのが感じられてくるような信心を頂いていく為には、も、いよいよ天地日月の心のその内容をね、触れさしてもらい、昨日研修で私が感じました自分の大きな心と思うておった、安心の心と思うておったその安心の心も大きな心も、果たしてそれが本当に大きな心なのか。神様を信じて疑わないから生まれておるこの安心なのか、ね。ま、神様にお願いをしとるから、ま、どうとかなるとか、おかげになるとか、と、こう言うておるけれども果たしてどれだけ神様を信じて言うておるかという事を思うと、これは支那語で言うターシン(大心)になっておるような事はないだろうかと、ね。ま、自分の心に一問一答さしてもらいながら信心を限りなく進めていく、その限りなく進めていくという事がね、も、本当に有り難いんです。
 私は今朝、炊事場に入りましたら、何か足にチカッとするから、下見たら何か、サイダーか何かの蓋が、もうと落ちとった。その上に素足でこう上がりましたもんですからチカッと。そのチカッとしたから下を向いた時にです、ね。私は、も、大変なものを感じたんです。ね、ハハァ神様がここに誰か知らんけども、王冠ですね。サイダーの栓。その王冠をちゃんとここに置いておって下さって、私が素足でそれを踏ませて頂く途端に、私の心の中に開けるものがある。神様の御演出というのは、恐れ入るなあとこう思うんです、ね。ですから、もう、そういうささいな事の中にもです、ね。針が落ちる音を聞いてでも、というような表現を致しますが、もうそれは、神様の御演出というか、働きというものは、それこそ微に入り細にわたっておるんです。だからそういう微に入り細にわたっての働きを、おかげと実感出来る時にです、もう、おかげでないものは一つもない事になってくるです、ね。言うならば小心、ね。言うなら日本では、それを小さい心というけれども、ね。それこそ、ね。水ももらさぬ信心というふうに申しますなら、そういう信心が深められて、初めて水ももらさぬおかげ。ま、結果においては、薫ようなおかげにもなってくるのだと、ね。大きい事ばっかり言うたって、どこからかおかげを漏らしておる事は、ないだろうか。小心がたらんのじゃないだろうか、ね。おかげがそこからもっておるというような事になってはなりません。もういよいよ、ね。日本語で言う大きな心。支那、中国語で言うところの小心と言うものがね、いよいよ身についていかなければならんと思うですね。      
                       どうぞ。